いつの時代も大人が若者を批判しがちな理由

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白洲次郎の本に、
大体若い人が、社会の実際面ということには案外無頓着で、只学問的に真理を追求するという様な、若い人にありがちな純粋な気持でものを考える時には、老人達が非難し、又極度に恐れるこの左傾的思想になるのも、又あながち不思議なことではなく、実は自然なことではなかろうか
(プリンシプルのない日本 p.89)
というようなことが書いてあり、1952年当時の若者が1952年当時の世間のおじさんに批判されていることについて1952年当時の白洲次郎が若者を擁護していて、やはりいつの時代もおじさんは若者に対して批判的だったのか!!と思った。何故いつの時代もおじさんは若者を攻撃しがちなのだろうか。

最初の仮説:世代が違うと価値観が違って理解できないから

歳をとるにつれて情報を吸収する力や環境に適応する能力は下がっていくから、異なる価値基準を持つ自分達より若い世代の新しい価値観や行動を認めることも受け入れることも出来ず攻撃するのかもしれない。
と考えたけど、そういうことではなさそう。

ライオンは若いオスを群れから追い出す

単純に縦社会の集団で生きる動物として考えると、若いオスというのは今まで支配側だったオス達にとっては今後の脅威の可能性でしかないから攻撃して潰そうとするのは当然かもしれない。
ライオンの集団に密着したドキュメンタリーを以前に見てとてもおもしろかったなーという記憶があってどんな内容だったかというと、ボスであるオス一頭に対して何頭ものメスからなるライオンのグループに何ヶ月(何年?)も密着して撮影し続けたものを編集したドキュメンタリーで、ライオンは食料調達ではメスが大型草食動物を狩りにいき、オスはメスが必死で獲得した食料を偉そうに食べて、子育てもメスがしてオスは関与せず寝てばかりでオスはあんまり頭が良くなさそうな顔をしているんだけど、外敵が接近してきたり、いざという時には戦うという感じだった。
そしてそのグループ内の子ライオンの内オスは2、3歳になると群れから追い出される。子ライオンはいきなり追い出されてしまい、嫌がって群れに戻ろうとするが親ライオンが噛みついてきて殺されそうになるので仕方なくそのグループから逃げて、自力で生きる。
そしてしばらくして立派なオスライオンとして成長すると元のグループや他のグループに接近してボスライオンを殺してメス達を奪い自分が新たなグループのボスとなって、以前のボスの子ライオン達を殺して自分の子供を産ませるらしい。

旧世代は新世代に立ちはだかるものである

と、ライオンの話になってしまったけど、価値観とか違うというのもあるだろうけどそもそもいつの時代も古い世代にとって新しい世代は今後の脅威であり潰すべき存在で、また新しい世代にとって古い世代は自分達の時代を築くために超えなければならない倒すべき存在ということで、そういうものだから世代が離れた者同士で、無意識のうちに攻撃的になりやすいとしてもそれは自然なことなのかもしれない。

いつの時代も若者は批判の対象

だから「最近は若者がやたらと叩かれる」「若い人ばかり批判される」というのは正確ではなくて、いつの時代でも年齢が上の世代にとって年齢が下の世代は攻撃対象なのだろう。
ただ最近は人口分布が高齢者が圧倒的に多いという状況なので、今まで通りにおじさんが若者を批判したとしても圧倒的な数の暴力になってしまうので、「最近は若者が批判されがち」という感覚は間違っていないのだと思う。

風の男 白洲次郎