「宇宙戦艦ヤマト」をつくった男 西崎義展の狂気

『宇宙戦艦ヤマト』というアニメがあることは知っているが、きちんと観たことはなく、ましてやそれを作った人については全然知りませんでした。かなり凶暴な人物でもともとアニメ業界の人間でもなかったというような話を聞いて、興味を持ちました。

それで『「宇宙戦艦ヤマト」をつくった男 西崎義展の狂気』を読みました。非常にアグレッシブな人物で面白かったです。牧歌的なアニメ業界に殴り込んできて、戦艦大和がテーマのアニメを作るぞ、と乱暴に人を集め、金を集め、交渉してビジネスとして成功させていく。それから覚醒剤所持で捕まり、ピストルやロケットランチャーの所持が見つかり銃刀法違反で再度捕まり、海に転落して死ぬまでがいろんな人の証言で記されてます。

その手段を問わなさがすごい。良い作品を作るために必要だと思う人間を見つけたら、どんな手を使ってでも連れてくる。自分はアニメの素人などとは考えない。女を抱かせ、酒を飲ませ、金を握るというかなり昭和感あふれるマインドセットながら、仕事への貪欲さ、やりきる力は見習うべきものがあるなという感じ。

以下、メモ。

  • 手塚治虫は製作費削減のため、リミテッドアニメ方式を取り入れた。アニメでは一秒間に24コマの絵が流れて動きを作り出すが、リミテッドアニメでは同じ絵を2コマ、3コマと撮影し、必要な絵の枚数を減らす。それでも収支は大赤字で、その穴埋めは手塚の印税・原稿料と版権収入に頼るしかなかった。
  • 「一の手、ニの手、三の手とよく言うが、俺はな、四の手、五の手でも足りないんだ。七の手ぐらいまで考えて交渉する」西崎は交渉やプレゼンテーションでは堂々たる態度を崩さず、事業の夢とロマンを熱っぽく、かつ論理的に弁じた。
  • 弘文の性格形成には家庭環境が強く影響した。裕福な名門家庭に生まれたことで鷹揚なボンボン気質を身に付けた。苦労はあったとしても、自分の好きな道を見つけ出すための過程である。戦後の成功者に多く見られる生活苦からの脱出、家族を食わせるための刻苦勉励というパターンを踏んではいない。理不尽な下積み生活を強いられなかったことで他人におもねるような卑屈さを持たなかった反面、弱者へのいたわりや辛抱強さには欠ける。また親が裕福だった分、金遣いは荒く、その一面として人材獲得にも金を惜しまなかった。そして結果的に有意義なパトロンの役割も果たしている。
  • 地元ヤクザに挨拶がないと脅され、開演前の舞台裏でピストルを突きつけられたり、タレントの女問題でヤクザと揉めることなどは日常茶飯事だったという。即座にトラブルを解決して幕を開けなければ公演プロデューサーの職務は果たせない。生き残るためには「(女を)抱かせ、(酒を)飲ませ、(金を)握らせる」ことなど当たり前の世界である。
  • (初代ヤマトのアニメ放映権の売り込み営業で)代理店を入れず、テレビ局の編成営業に三年続けて直接企画を持ち込んだ。当時、私のような存在は珍しかった。広告代理店がスポンサーを保証する代理店ワクは代理店の意向が強く、私は編成(営業含む)ワクと呼ばれているところにしか企画を出したことがない。ここでは比較的、企画はフェアーである
  • 西崎は白土が描いた「デビルマン」の派手なアクションに目をつけていた。作画監督の依頼を白土に電話で2〜3回断られたあげく、西崎は白土行きつけの居酒屋へアポなしで押しかけ、ついに口説き落とした。西崎は、これと目をつけた人材の獲得には金も労力も惜しまない。
  • 1970年代に入り、テレビ人気の高まりで映画産業は斜陽化。それだけに角川映画のインパクトは強烈だった。角川映画第一弾「犬神家の一族」の製作費は2億2000万円で、総宣伝費が3億円と宣伝費のほうが多く、日本映画の常識を破る映画製作となった
  • 西崎がファンクラブに依頼した宣伝作戦はポスター作戦とリクエスト作戦の2つだった。目立つところにポスターを貼らせ、ラジオや雑誌に宇宙戦艦ヤマトを取り上げるようリクエストさせた。
  • さらに奥の手として、創価学会を動員した。口利きで一般の前売り券より二〇〇円安く販売し、合計30万枚を売り上げた。ほかのチケット販売会社からのクレームは無視した。
  • 西崎は自慢の豪華クルーザーでカンヌに乗り付けた。パーティー用に購入したドンペリ300本と高価な料理食材を積み込んでイタリアから地中海をさっそうと航行した。
  • 「俺は西崎のもとに出向して苦労したけど、女ったらしは犯罪じゃない。フランスの大統領は愛人が何人いようと非難されない。日本では愛人を作ってバレたら大臣はクビになる。日本は後進国なんだな。今の日本にはダイナミズムがなくなっちゃったから、西崎みたいな人間が必要なんだよ」
  • (阿久悠による勾留停止を求める嘆願書)ご存知のように日本は絶対的な企業社会で、プロデューサーという職名を名乗っていても、多くは企業内役職であります。本来プロデューサーは、個人の才覚と力量により、資金の調達から企画、製作、興行配給に至るまで全責任を負うものです。日本では大ヒットで長者になった人も、不入りで財産を失った人もいないというのが、現状でした。それを西崎義展氏は破りました。喝采を送ったものです。日本という国、悲しいことに、サクセスが個人の手にあることを喜ばない風土があり、氏もまた、その成功ぶりを何かといわれたようでありましたが、私などは、個人が評価されることの一陣の風として、また、サクセスという夢を社会に存在させる証左として、この成功を喜んでおりました。

私としても、このような凶暴な精神は見習って貪欲に努力していきたいと思います。


「宇宙戦艦ヤマト」をつくった男 西崎義展の狂気